クロスオーバーな総合雑誌『GRAPHICATION』 ブックレビューの最初はぜひこの雑誌を紹介したかった。 『GRAPHICATION』は富士ゼロックスの隔月刊広報誌なんだけど、内容にたまに大当たりがある。最近では、N [...]
幸福とは寓話であり、不幸とは物語である。
10/26/09
10年以上前につくったもの。
10/19/09
原理主義者は「リソースは無限である」ということを前提にして、至純にして最高のものを求める。機能主義者は「閉じられた世界、有限の時間、限られた資源」の中で、相対的に「よりましなもの」を求める。
世界中ほとんどすべての社会集団で、服喪、産穢、月経などが「穢れ」に類別され、untouchableとされる。 これはいずれも「死と性」にかかわる人間的事象である。 こういう問題について、軽々に「女性は人類発生以来、あらゆる社会で差別されてきた。それが女性の社会進出を妨げてきた」というふうにくくって済ませる思考の硬直性を私は評価しない。 そもそも「社会進出」というような概念は近代(ほとんど現代)になってはじめて出現してきたものである。 いまの私たちを共軛している「ドクサ」を基準にして、人類史全体を俯瞰できると思うのは愚かなことだ。 それは「いま・ここ・わたし」が人類史の知的最高到達点であるというエゴサントリックなイデオロギーを表白しているにすぎない。
欲望がコミュニケーションを起動する。 コミュニケーションには三つのレベルがあると看破したのはレヴィ=ストロースである。 すなわち「女の交換」(親族形成)、「記号の交換」(言語)、「財貨・サービスの交換」(経済活動)である。
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