国境の南、太陽の西でアキレスが亀に追いつく時
僕がうつ病にかかり職を辞したころ、主治医は僕に「とにかくたくさん眠りなさい」といった。
しかし、その意味は厳密には「よく眠り、しっかり、たくさん夢を見なさい」だったのではないか、とときどき思う。
職を辞してしばらくしたころ、僕は村上春樹の小説に出会った。それより以前、『ノルウェイの森』が出版され、ベストセラーになったころに読んだのだけれど、覚えていることといえば「直子のフェラチオはすごい」くらいのものだった。もっとも、海外では村上春樹作品はポルノ小説として読まれている一面もあるなんて話も聞くので、当時の僕を責めることはできないだろう。男子中高生なんてたいていは
自分のことしか考えていなくて、女の子のスカートの下に手をいれることしか頭にないがさつな
ものだ。
ともあれ、病院の待合室ではまるで頓服薬のようにたいてい僕は村上春樹を読んでいた。デビュー作『風の歌を聴け』から、発表順に村上春樹の長編を読みすすめた。
村上春樹の小説は奇妙だった。深読みすればきりがないし、物語の着地点は作品の最後にあるとは限らず、小説の中盤にあるかも知れないし、もしかしたらそんなものないのかも知れない。まるで、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にでてくる“夢読み”のようだ。
非現実的なすじがきであっても、夢の中に出てくる自分の家や恋人が、現実のそれらとはまったくちがう姿かたちをしていてもそれと認識できるように、村上作品の物語の世界は静謐な暗黙の秩序に支えられ、すんでのところでゆらゆらと破綻からとどまっている。その揺らぎは読者のこころを癒し、現実から夢の世界へといざなう揺りかごとして機能している。
夢には、過去の人物も現在の人物も未来の人物も一緒くたに登場する。死んだ人物とまだ存在していないわが子が、夢の中で同じ場所と時間を共有していてもそこに破綻はない。同じように、自分の精神内では破綻していないはずなのだけれども現実には破綻している、そのギャップに苦しみ、自分の足もとの薄氷の下に透ける現実世界と自分自身におびえるのが、村上作品の主人公の特徴のひとつだ。それは『国境の南、太陽の西』でも例外ではない。
『国境の南、太陽の西』の主人公は、12歳のころに親しかった初恋の相手の女性と25年ぶりに再会する。
山田玲司の名作(作者はこの作品をきらっているっぽいが)『Bバージン』に、男性にとって、初恋の女性はその後の恋愛対象の原型になる、みたいな説があったけど、ジェンダーとして、ともすれば初めての社会性に取り込まれるいち過程として、初恋の相手というのは恋愛対象のイコンとして輝き続けるとくべつな存在だ。たいていの男はそうだ。たぶん。
初恋とは過去のできごとだけれど、連綿とつづく現在よりもむしろ夢とのリンクが強い。もしも初恋の相手と実際に25年ぶりに再会したら、現実には失望し、失望されることのほうが多いだろう。なればこそ、夢の中に無意識にとどめ続け、美化する。
しかし、主人公が25年ぶりに再会した初恋の相手はがっかりしたくなかったからよ(中略)昔のあなたのことがとても好きだったから、今のあなたに会ってがっかりしたくなかったの
と言い、主人公も彼女も、現在の彼らにがっかりはしない。
お互いにますます惹かれあうふたり。25年ぶりに再会する8年前にいちどだけ初恋の相手を見かけた主人公。しかし何もできなかったという事実が悔恨を増幅させ、主人公をしてますます夢と過去の世界を通じて彼女を魅力的なものに見せる。
そして、過去と夢の断片が現実を凌ぐとき、人は生きる意味を見うしなう。
ゼノンのパラドックスのひとつに、「アキレスと亀」がある。
あるところにアキレスと亀がいて、二人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らか(注:イリアスにおいてアキレスの枕詞の一つは「駿足の」である)なので亀がハンデをもらって、いくらか進んだ地点(地点 A とする)からスタートすることとなった。
スタート後、アキレスが地点 A に達した時には亀はアキレスがそこに達するまでの時間分先に進んでいる(地点 B)。アキレスが今度は地点 B に達したときには亀はまたその時間分先へ進む(地点 C)。同様にアキレスが地点 C の時には亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけないことになる。
夢や過去は、いつまでも現実に追いつかないと思っていたのに、追いつかれたと気づいたとき、それが「夢」だったという「現実」に気づく。その苦しみやつらさは、まじめに生きる者ならば誰もが感じるところだろう。
主人公と彼女が濃密に結ばれたあくる日、彼女は姿を消し、それから二度と主人公の前に彼女は姿をあらわさなくなる。文字通り夢のように。そして、夢が終われば現実がはじまる。
夢を見るのは、脳のデフラグをするため、という説がある。僕がうつ病初期のころしばらくは、ひと晩に何百回も高速断片的な夢を見た。常識、現実世界では破綻しているはずのそれらの物語を僕はブロイラーのように受け入れ、消化していった。すると徐々に、症状は回復していった。
村上春樹の作品は、そんな夢と同じこころもち、作用を僕に与える。自分が受け止めきれなくなった現実をいったん解きほぐし、見たことのない紡ぎ方であらためて提示してくれる。それを静かにここちよく受け入れていくことで、夢と現実のギャップがやさしく埋まっていくのだ。
ところで、村上春樹の小説にはジャズがしばしば登場するけれども、村上春樹の小説じたいにジャズは不似合いだと思う。個人的にはバーバーの『アダージョ』がいちばん似合うと思う。
著者/訳者:村上 春樹
出版社:講談社( 1995-10-04 )
定価:¥ 540
Amazon価格:¥ 540
文庫 ( 302 ページ )
ISBN-10 : 4062630869
ISBN-13 : 9784062630863








